熊本地震 復興支援へ、職員の第二次派遣
玉川ホーム山川崇徳君、あたみホーム小池靖君の2名を派遣
復興復旧が進む熊本地震の被災地へ、太田福祉記念会の職員2名が支援に出発します。厚生労働省からの第二次派遣要請に応えるもので、玉川ホーム山川崇徳介護員と、あたみホーム小池靖介護員の2名が現地に伺います。出発に先立ち太田福祉記念会では、8月4日に多くの職員が参加して壮行会を開催。太田理事長
が「当法人の理念にもある、相手を思いやる心を持って、被災地の方々の手助けをしてきてください。熊本で知り合う方々とのご縁を大事に、また、暑さにも注意して任務を行ってください。」と激励の言葉を贈り、両介護員は「このような機会は中々ありません。派遣先では、太田福祉記念会の介護技術を発揮してきます。私たちが不在になる間、よろしくお願いします。」と決意を表明しました。
【派遣期間等】
山川介護員 8月12日〜15日までの3日間、上益城郡益城町の特別養護老人ホームへ
小池介護員 8月8日〜31日までの24日間、阿蘇郡南阿蘇村の特別養護老人ホームへ
あたみホームの北嶋君は10日間の任務を無事終了し帰郡
太田福祉記念会の災害被災地支援のための職員派遣第1号となった北嶋裕太郎介護員が、7月25日元気な姿であたみホームに出勤。早速、太田宏理事長らに帰園報告をしました。
【北嶋介護員談話・要約】
7月13日に熊本県御船町に入りましたが、民家の屋根はブルーシートで覆われていたり、倒壊の可能性がある建物には赤い札が貼られていたりと、復興半ばという光景を目にしながら施設に向かいました。一方で福島のあの時期と比較すると、熊本のほうが幾分復興が進んでいる印象も受けました。
さて、施設に到着してまず戸惑ったのが「ことば」の違いでした。「初めて耳にすることばもあれば、九州ですので「○○ばい。」といった聞き慣れたフレーズも。しかし、郡山弁の「○○
だばい。」は通じませんでした・・・。
応援業務についてですが、養護老人ホームということもあり、自立した方が多く利用され、主に見守りを行いました。私たちの特別養護老人ホームとは違い、本当に限られた職員数の中での業務でしたが、何とか事故なく業務をこなすことができました。
私が派遣された施設は地域の福祉避難所にも指定されており、地域の高齢者も多く避難され、そこでも多くのボランティアが活動をしていました。短い期間ではありましたが、施設の職員さんをはじめ、他県から派遣されてきた方々と知り合うことができたことも、私の大きな財産となりました。今回の経験を、今後の業務に生かしていきたいと思います。
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壮行会で激励の言葉を贈る太田理事長・8/4 |
被災地の現状を報告する北嶋君(右)・7/25 |
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多くの職員が拍手で送りました・8/4 |
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